ナパヴァレーワインの歴史と変遷

ナパの起源

ナパヴァレーにはもともと多くのぶどうが自生していましたが、この地にワイン用ぶどうの栽培の可能性を見出したのは開拓者のジョージ・カルヴァート・ヨーントでした。ヨーントはナパヴァレーに住居集落を作り、1839年に最初のぶどうを植えました。その後すぐにジョン・パチェットやハミルトン・ウォーカー・クラブといったパイオニアらがナパヴァレーに最初のヨーロッパブドウを植え付けました。

 

パイオニアと初期の発展

チャールズ・クリュッグは1861年にナパヴァレーで初めて商業ワイナリーを創立した人として知られています。クリュッグの成功とリーダーシップは次々に新しいワイナリーを生み出すきっかけとなり、シュラムスバーグ(創業1862年)、ベリンジャー(1876年)、イングルヌック(1879年)などをはじめ、1889年には140を超えるワイナリーが操業していました。

 

黎明期のチャレンジ

しかしこの著しい発展も長くは続きませんでした。20世紀の初め頃にはぶどうが供給過剰となって市場価格は大きく落ち込み、さらにはネアブラムシ(フィロキセラ)の発生によってナパヴァレーのぶどう畑面積の80%が根に寄生してぶどうの樹を枯らす害虫の被害に遭い、ワインの造り手は大打撃を被りました。ナパヴァレーのワイン産業にさらに厳しい追い打ちをかけたのが1920年に施行された禁酒法です。その後14年以上にわたりナパヴァレーでは礼拝用のワインを生産する一握りのワイナリーを除きぶどう畑とワイナリーは放置されました。

 

回復

1933年に禁酒法が廃止されると、ナパヴァレーのワイン業界はゆっくりと回復を始めました。この時期にジョン・ダニエル・ジュニアがイングルヌックを復活させ、ジョルジュ・ド・ラトゥールがボーリュー・ヴィンヤーズを再び立ち上げ、ルイ・M・マルティーニが自身のワイナリーを創業し、モンダヴィ・ファミリーがチャールズ・クリュッグ・ワイナリーを買い取りました。フランスで働いていたロシア人移民のアンドレ・チェリチェフがナパヴァレーに来てボーリュー・ヴィンヤーズに加わり、ナパヴァレーのワインに大きな影響を与えた恩師としてナパヴァレーの歴史に名を残しました。

 

ナパヴァレー・ロックス:歴史

ナパヴァレーのワイン造りの濃い歴史は、カリフォルニアでゴールドラッシュが起きるよりもずっと前から始まりました。