ナパヴァレー・ヴィントナーズの歴史

Napa Valley Vintners Founding Members

ナパヴァレーで大抵の物事がそうであるように、ナパヴァレー・ヴィントナーズもごちそうと美味しいワインがずらりと並ぶテーブルから始まりました。

 

70年後、美食と社交の場で育まれた仲間意識は、世界にナパヴァレーのワインを広めることに熱心に取組む、活発な協力関係に発展しました。1944年に発足したナパヴァレー・ヴィントナーズは、525を超える活動的な加盟ワイナリーから成る地域の自発的な同業者団体です。それは、銘醸ワイン産地であるナパヴァレーで献身的に働く造り手と、ぶどう栽培農家がつくる歴史です。

1940年代の初め、誕生して間もないナパヴァレーのワイン業界は、価格のコントロールや深刻な人手不足、ボトル不足、またワインを鉄道で東部に輸送するための車両不足など、数々の問題に直面していました。そこで1943年に、ルイ・M・マルティーニ、ジョン・ダニエルJr、チャールズ・フォルニ、ルイ・ストラーラらが集まり、造り手が互いに情報交換できるような組織を立ち上げようと相談し合いました。定期的に意見交換を行い、自分たちの抱える問題をグループとして取組めば、障害ものりこえられ、結果ナパヴァレーワインの地位向上にも繫がるだろうと。個々で取組むよりも、集団で取組んだ方が業界の問題を解決しやすいと考えたのです。

1944年には正式な団体結成の合意書が作られ、ワインの造り手7名により署名されました。(ボーリュー・ヴィンヤードのフェルナンデ・デ・ラトール、ラークミードのフェリックス・サルミナ、ナパヴァレー協同組合のチャールズ・フォルニ、CKモンダヴィ・アンド・サンズのロバート・モンダヴィ、イングルヌックのジョン・ダニエルJr、ルイ・M・マルティーニとルイ・ストラーラ。)

すでに1948年に、ナパヴァレー・ヴィントナーズはワインのプロモーション活動を主催して外部からのゲストを迎え入れていました。例えば1949年にはハーバード大学の卒業生700名を招きました。また1952年にはナパ・カウンティ・フェアグラウンズに2000名のゼネラル・エレクトリック社の関係者を招いて、ウエスタンスタイルのバーベキューとワインを振舞っています。

ナパヴァレー・ヴィントナーズの発足メンバーは、自分たちのことを「飲み食いの会」と自称することが多いのですが、しかし彼らこそが、おもてなしの精神、業界擁護活動、そしてマーケティング活動を通して、このユニークで小さなヴァレーをプレミアムな銘醸ワイン産地の一つとして世界に広めたのでした。

故ロバート・モンダヴィ氏は数年前に言いました。「50年前、ワインの世界でナパヴァレーを知る人は殆んどいませんでした。しかし今や、ナパヴァレーは世界のワイン業界のリーダーとまで目されるようになりました。」と。1960年代後半の農業保護用地法制定に向けた取り組みでも明らかなように、ワインの造り手は地域におけるリーダーです。また、彼らが地域のために資金を募る目的で毎年主催しているオークション・ナパヴァレーは、累計で1.7億ドル以上の収益を地元の非営利団体に寄付しており、地元の福祉向上に貢献しています。

今日、ナパヴァレーのメンバーは、ナパをぶどう栽培と生態系の宝庫として保護し、最高品質のワインを生産し、ワイン産業の関心を喚起し、国内外にナパのワインを広める活動に注力しています。70年経った今でも、ワインの造り手達は定期的に集まります。メンバーの数は大幅に増えましたが、本質的な仲間意識と協力関係は今も変わっていません。